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ブインはパプアニューギニア・ブーゲンビル自治州、南太平洋のソロモン諸島北部に位置するブーゲンビル島南端部の町である〔''Merriam Websters Geographical Dictionary, Third Edition'', p. 183.〕。 ==歴史== 第一次世界大戦からほどなくして、ドイツ人入植者が金の採掘のためにブインの一帯に到着した。現地に住むブーゲンビル人の大半が、移住者から煉瓦造りのような技能を学んだ。 第二次世界大戦中の1942年前半に日本がブーゲンビルを占領し、10月8日に飛行場を完成させ〔角田、2008年、pp.148ff〕基地としてブインを使用した。以後ブイン基地はソロモン諸島の戦いにおける日本陸海軍航空隊の重要拠点として機能した。アメリカ軍は1943年11月1日にブーゲンビル島西海岸中部のトロキナに上陸したが、ブインなどの、この島の他の地域は迂回した〔。、オーストラリア軍が島から日本軍を掃討する任務を引き継ぎ〔Odgers 1988, p. 177.〕、日本軍の主要部隊が配置されていたブインに向け、トロキナから南へとゆっくり進軍を開始した〔Long 1963, p. 217.〕。しかし日本軍の猛烈な抵抗と激しい雨で、ミヴォ川にオーストラリア軍が到達して間もなく、1945年7月に前進は止まった〔Odgers 1988, p. 178.〕。その結果、ブインは戦争が終わるまで日本が支配し続けた。 戦後、オーストラリアによる信託統治を経て、1975年9月、ブーゲンビルを含むパプアニューギニア(PNG)はオーストラリアから独立した。しかし同年には、ブーゲンビル州によるパプアニューギニアからの分離独立運動が起きた。この背景には島にある世界最大級の銅山、パングナ銅山を巡る事情が絡んでいた。当時の銅山は「ブーゲンビル銅鉱会社(Bougainville Copper Limited)」という形でオーストラリアの実質的な支配下にあり、島の住民が補償を求めて抗議運動を起こし、それが引き金となったのである。 1989年、ブーゲンビル革命軍(BRA)が武装蜂起し、オーストラリアの支援を受けたパプアニューギニアと内戦状態に入った。ブインでは地域の抵抗運動が勃発した。これには議会場の破壊や、パプアニューギニアの航空部隊が着陸できないようブルドーザーで空港の滑走路に大きな穴を掘ったりすることなどが含まれた。1998年、BRAは、オーストラリアとニュージーランドの仲介の下、政府と停戦に合意した。 停戦合意後もブイン周辺の治安は悪く、反政府武装勢力と武装化した自衛集団との小競り合いが発生している〔ブーゲンビル島アラワ市以南 - 外務省 海外安全ホームページ(2011年6月17日閲覧)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブイン (パプアニューギニア)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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